Have sweet dreams.

日々のあれこれと夢の記録

もしも私が

私がもし

何かに困って手も足も出ないほどに誰かに助けてもらわないと
生きて行けないという状況になったら。
 
私はその状況の時の私よりもダントツに豊かな人に助けてもらいたい。
ダントツに、だ。
心の余裕、経済的物質的に、その状況の私よりもダントツに豊かな人。
なぜなら、手も足も出ない程に助けてもらいたい状況なら
本当に助かりたいし、根本的に助けてもらいたいからだ。
(今のところ、そんな経験はないけれど)
 
こんなことを言うと、人を助けながら質素に暮らしている人に失礼だろうか。
いや、その質素を心から一点の曇りもなく楽しんでいる人なら、
それは私よりダントツに心が豊かな人だから、理解してくれるだろう。
 
根本的に助けてもらいたいのに
助ける人が生活に困っていたり、心に余裕がなかったら
100%で私のことを考えてくれる暇などないはずだ。
自分が十分でないのに、自分のことを差し置いて
人を助けようとしている人を見ると
人を助けることで自分の存在価値を確かめているようにしか
私には見えない。私は、そんな人に助けてもらいたくない。
 
それに、私を助けることで何かを犠牲にされても困る。
その時の私の状況に感情移入されてその人が不安定になっても困る。
どうせなら、あなたを助ける程に、豊かで暇だったと言ってもらいたい。
そのくらいドライに、客観的に、しっかりと最後まで助けてほしい。
 
いや、まさにこれはもしも、の話で、
そもそも、私は自分で立っていたい。
だから手も足も出なくなる状況になるもっとずっと手前のところで
夫や友人にちょいちょい助けてもらっている。
だから、失敗したり落ち込んだり困ったことがあっても
またなんとか立て直すことができていると思っている。
 
かくいう私は、誰かを助けたいなどという博愛精神はない。
星占いや夢の分析で人の心に触れることはあっても
私はその人を助けたいと思っているわけではない。
もちろん、
それを受けた人が笑顔になってくれたら嬉しいし
対価をいただいてそれをするのだから
当然にその時間は真剣に向き合っている。
 
しかし、人と向き合うというより、その人の星周りや夢に対していかに
私の価値観を限りなく排除して、それを見ることができるかが大事だ。
自分の価値観を排除することはなかなか難しい。
比較的感情移入しやすい私は、このようなことをボランティアでなどできない。
対価をいただくからこそ、冷静で客観的でいられるのであって
無償でやろうものなら思い切り自分の意見を言いたくなってしまいそうだから。
 
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あかさんが生まれたら教えたいこと。
まずは、自分が十分であることが大事だよ。
ということ。
 
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いつもと違うトーンの日記だけれど
思うところがあったので、ここに記録しました。