音楽でつながる
お腹のあかさんは、もう何でも聞いているし分かっている。
子供が先!
根を張るような喜び
割れ目…のような感じに見えます…ね。女の子……だと思います。
命を宿すということは
sachicoを描いていたら、小さい女の子が出て来た、これはちびこだ、子供だね。
と友人がインスピレーションのままに描いた絵を受け取った1年後に私は妊娠した。
この絵を受け取った頃の私は、子供が欲しいと言いながら、
まだちゃんと自分の気持ちと夫に向き合うことが出来ていなかったから、
嬉しくもまだそこにいない自分を歯痒く思っていた。
でも彼女は、こんなちびこが出てくるんだねと当たり前のように言ってたのを思い出す。
彼女のインスピレーションと絵は本当に素晴らしい。
今では彼女の絵は世の中に出て行くようになって、それもまた面白く素敵なことだ。
☆
ちびこの胎動を感じられるようになってから、まだ見ぬちびこがとても可愛い。
こうやって、親バカというものが始まっていくのだね。
ちびこといっても、まだ性別は分かっていない。
でもやはり、絵のようなちびこが出てくる気がしている。
そんなハッピーな心持ちでいたある日、夫が湯当たりして倒れた。
痙攣し数秒意識が飛んだが、すぐに回復し大事に至らずに済んだのは本当に良かった。
私は夫の名前を呼びながら、とても冷静であったが、本当にゾッとした。
ちびこと三人でまだまだこれから沢山の経験をしたいのに!
これからがもっと面白いのに!と思った。
私が特にゾッとしたのは「一緒に泣ける数少ない友であり夫である彼」を
失うのではないかという事だった。
それはつまり、私にとって夫がどういう存在であるかを思い知る瞬間でもあった。
私は妻という立場で、もっと稼いで欲しいとか、
社会的に成功して欲しいとか、そういう押し付け的な期待や希望はあったが、
そんな事はもう本当にどうでもいいと思った。
(稼ごうと思えば、私だって出来るはずだと思っているから、という背景もあるけれど)
そして、少し前までの私は
「人が死ぬ時期は、ある程度決まっているだろうから、
その時が来たらいつだってあっさり旅立てる」と本気で思っていたけれど
ちびこの胎動を感じ始めた今は、まだまだ死ねない、死にたくない。
生きていたい。万が一その時が来ても、あっさり諦めて旅立てるとは思えない。
せめて、ちびこが自立するまでは、元気で生きていたい。
夫にも健康で元気にいて欲しい。
まだまだ一緒に家族をやりたい。
そういう欲がむくむくと膨れ上がっている。
特に、夫に対して「健康で元気にいてくれたらそれだけでいい」なんて、
そんな基本的で慎ましい?願いを本気で思うようになるとは、
想像したこともありませんでした。
あ、でもやっぱり
育児と家事は手伝って欲しい。
☆
命を宿すということは、
とても強くなることであり、
同時にとても弱くなるのだ、
と思うのでありました。
祈りのチカラ
まだ早い!どころか。
これは今年の4月、婦人科の手術をした時に
姉妹のような友人がプレゼントしてくれたもの。
来年出てくるおチビのお洋服。
私は「子供を迎える」と決めていたけれど、
その可否はこちらの都合だけではない。
というか、そんな予兆すらもまだ先であった時のプレゼント。
必ず来る未来のために。と強い気持ちでくれたもの。
私の未来を心から信じてくれているんだなと、心底嬉しく思った。
でもこれは、彼女だったからその気持ちを真っ直ぐ受け止められたのだと思う。
受け取ってすぐ、開けて眺めるのは未来に来る妊娠安定期にしようと決めて
大切にしまっていた。
で、16週に入り順調に安定期突入と検診で伝えられた今日、その日が来た。
自分の望みを疑わずに、強く願って祈って念じて行動すれば、
その時はやって来るものだね。特に今は、叶うまでの期間がとても短い。
そして、私の場合、私自身だけじゃなく
私の未来を信じて一緒に願ってくれた人がいたから
こんなにも早くその日が来たのではないかと思うのです。
心から、感謝します。
子供を幸せにしたかったら?
会社を出た後、ズシッと、疲労が重く確実に乗っかる感じ。
11月25日から週3でお仕事を開始しました。